科教協大会では、たくさんの科学部OBから力を貸して頂き、現役の部員にもたくさん発表をしてもらった。部長の石本さんの金の発表も好評で、「よかったよ」という感想をたくさん頂いた。2週間が経ち、部員達と中学生の体験入学の準備等をしながら、(科学部の活動というのはなんだろう)と考えさせられている。それについて、先日開かれた、石川私学の夏期研究会の際、北陸学院の児玉さんから興味深いお話を聞いた。「日本語学者の大野晋さんが、<小学生時代に理科部で思い切り遊んだ経験がなかったら今の自分はなかった>と言っている。学校生活の中でそういう経験をすることは、とても大切だと思う」というのである。出典として紹介してもらった「日本語と私」という本にあたってみたところ、<四年生になって私は理科部に入った。風力計で風速を計ったり、亜鉛に希硫酸を注いで水素を作ったりして金曜の午後を遊んだ。「面白い理科」「子供の科学」という雑誌を発行していた原田三夫という方が、理科部の生徒を鎌倉の海へ海藻の採集に連れて行ってくれたりした。こんなふうに理科室で遊ぶ長い時間を持ったことは、後の私に大きく影響していると思う>ということが書かれていた。国語学の基礎に理科で遊んだことがあるというのはとても興味深かった。<科学と科学教育は、ちまたで語られるような専門家の育成というそれなり?の目的を遙かに超えた、人を確実に育ててくれる素晴らしいツールであり、人類の共有財産である>ということは、私にとって今や確信のようなものになりつつあるが、それを後押ししてもらったような気がした。
科教協大会でも科学部OGの吉田有貴子さんに彼女の研究テーマであるマンボウの発表をしてもらったが、講演準備のメールのやりとりの中で同じようなことを感じた。
以下は彼女の講演要旨である。
<科教協大会講演要旨>
水族館でも人気のマンボウですが、体長3m以上、体重2トン以上にもなる大型回遊魚ゆえに研究が難しく、これまでほとんど研究が行われていませんでした。指導教官も自分の専門分野でなく、どうやって研究を進めるかも確立されていない状況で、なぜやろうと思ったか。それは高校時代に培われた研究に対する意識にあります。
金沢高校科学部で初めて取り組んだ研究は、今思えば研究の方向性も何もない研究でした。自分の思いついたままに色んなことを試し、実験をしても失敗ばかり。結果もほとんど出ませんでしたが、それでも研究がおもしろくて仕方ありませんでした。このときに、研究課題を自分で見つけて検証していくおもしろさを発見し、さらに研究で試行錯誤や難しいのは当たり前という意識が培われたと思っています。
マンボウを研究対象として選んだときも、マンボウは研究するのが難しいけど、それを乗り越えて研究することは普通で、むしろ、難しすぎて、他に誰も研究していない、何も解明されていないなんて、何てわくわくするんだろうと思いました。その難しいけれど、わくわくに満ちた研究生活を少しでもお伝えできればと思います。
さらに次のようなメールも届いた。
この講演要旨には字数の関係で書かなかったのですが、「植物中の重金属イオン」の研究で先生の存在があったからこそ研究がおもしろいと思えたんだと思います。失敗ばかりして、結果もでないとき、顧問の先生に否定されてたら、研究をもしかしたら嫌いになっていたかもしれません。私は先生に支えてもらった(自分のやっている研究を肯定していてもらった)と思っています。「どんな結果が出たの?おーそれおもしろそうだね。じゃあどんな実験がしたいの?どんな風にしたいの?」先生にそんな言葉を投げかけていただき、”常に自分が研究をどう行っていくか、どうしたいか”考えるきっかけをいただき主体性を持って行動したからこそ、失敗してもその経験が次につながる価値になり、研究自体も楽しいと思えたと思っています。安心して研究を行えるとっても居心地のいい環境を作っていただいたと思っています。本当にありがとうございました。私にとってかけがえのない経験になっています。
彼女は、マンボウとは畑違いのところに就職し、マンボウとまったく異なる人材育成のプロジェクトに取り組んでいる。そして、楽しんで取り組んだ研究の経験が大きな力になっているという。大野晋さんの理科部の思い出と通じるものがあり、考えさせられた。私自身、これまで出会ったたくさんの先生にそれを教わったと思っているが、サイエンスで思い切り遊ぶこと、それを大人や教師がゆったりと支えることの大切さを、あらためて考えている。
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