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2009年8月16日 (日)

「小松弥助」寿司

知る人ぞ、知る寿司の名店が金沢にある。それが「小松弥助」。しかし、残念ながら、「小松弥助」で寿司を食べたという羨ましがられるお話ではない。先日、本屋で立ち読みをしていた際、「日本で一番おいしいもの」という本が目に入った。「そんなものは高くて食べられないだろうけど、なんだろう」と興味をかられ、ページをめくったところ、巻頭にでてきたのが、「小松弥助」だった。しかも6ページフルカラーの扱いである。思わず中を読んで共感し、なんとこの本を購入してしまった。その一文を紹介してみる。

<小松弥助>の親方、森田一夫さんは08年春、喜寿を迎えた。寿司職人になって60年余り。今が「青春」という。少しでも休みがあれば、全国至るところの寿司屋巡りに出かける。仕事場にあっては、早朝の仕入れから閉店まで、立ちっぱなし。お茶も飲まない。トイレにも行かない。寿司が握れる、よろこんでくれる客がいる。「それがうれしくて仕方がない」と語る。・・・・中略・・・・・。様々な経験を経た今、人間的にも円熟した森田さんの寿司は「今が食べ時だ」と長年のファンは言う。「近ごろ、どんどん若くなっていく」と弟子が驚く。「仕事に夢を持ってますから、私の寿司は日々変わっていきます。」・・・・中略・・・・・。どうしたら美味しくなるかそればかり考えている。つけ場に立てば、全方向にアンテナを巡らし、客の思いを敏感にキャッチしながら、寿司を握る。何を見ても、何を読んでも、寿司のヒントになる。いろんな人に会うことが、新しい創造へのモチベーションになる・・・・。

<寿司>を<授業>と読み替え、この文を読んでみる。我々教師も、森田さんのような喜びを感じ続けていければ・・・・、いきたいものだと思う。

さて、最後に羨ましい?お話を一つ。私と「弥助」の寿司との出会いは古く、主人の森田さんが、小松の寿司屋「米八」に板前としておられた頃、親に連れられていった時からなので、45年近いことになる。その後、「弥助」として独立されたお店は幸いにも実家の近くにあり、時々?連れられて訪れることができた。贅沢なことに、「寿司といえば弥助」だったのだ。大学に合格した際、「腹一杯食べろ!」といって親戚の岸野稔さんにご馳走して頂いたのもここだった。それこそ5,6人前以上ご馳走になった気がする。頂く度、とても幸せな気分になったことを覚えているが、金沢に出店されてからは、一度お昼に訪れただけである。その際も、本当に幸せな気分にさせて頂いた。機会があればまた、訪れたいのだが・・・。人生はつかの間?なのだからと思いながら、その機会がなかなかこないなぁ。Susi1_2 Susi2_2

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コメント

はじめまして
弥助さん 最高ですよ。
お味は当たりまえですが、お人柄が良い!
私ももうやめてしまうかも。。
という噂に驚いて、昨年あわてて行ったのですが、
もう大ファンです(*^_^*)

投稿: うさぎ | 2009年8月20日 (木) 07時43分

うさぎさん、コメントありがとうございます。ぜひ行きたいですね。

投稿: 管理人 | 2009年8月23日 (日) 15時27分

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