母の急逝
土曜日の朝、市の相談センターから母の寝室につけてある母の動きが朝からセンサーで感じられないので様子を見に行ってほしいという連絡が入りました。これまでも同様の連絡があり、いざ駆けつけてみると器械の誤作動だったり、母が面倒がって電話に出なかったただけだったりで元気な顔がみられ、胸をなでおろすということが度々ありました。元気な顔がみられるものと思っていたのですが、それがかないませんでした。様子を見て頂いたお医者さんのお話では、くも膜下出血で朝布団の上げ下ろしの際にたおれたのではないかということです。その後、何人もの方とご挨拶させていただく中で、亡くなる前の日まで、公民館での体操、大正琴の会に参加させていただいていたこと、庭木の手入れをしていたこと等をお聞きししました。気丈な母でしたので、皆さまにご心労をおかけすることも多かったのではないかと思いますが、たくさんの方々の輪の中に加えて頂き、最後まで幸せな日々を過ごさせていただくことができたのだと思います。5月20日に庭木の手入れを手伝おうかと様子を見に来たのですが、「あんたらに迷惑をかけたくない。自分で出来るうちはするからいい。そのうち頼むわ」と元気な様子でした。母がつけていた営農帳というノートには5月28日トマト、なす、なんばによこの支柱をする。6月11日、椎の木の散髪をするという予定が書かれていました。祭壇の写真も音楽もこれを使ってほしいというものが押入の中に残されていました。最後までこれをやりたいという予定の中で、旅立つことができた母は幸せだったのではないかと思います。最後の表情もとても安らかなもので「迷惑をかけずにすんだぞ」といっているかのようでした。残された我々としては少しは世話もさせてほしかった。通夜、葬儀、挨拶回り、法事ひとつひとつ経るほどに、寂しさが重なります。通夜、葬儀にも、台風で大荒れの転記の中、本当にたくさんの方々にご弔問を頂きました。ありがとうございました。
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